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美術出版社グループのあゆみ |
| 美術出版社の事業 |
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| 創業のころ |
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創業者 大下藤次郎は明治時代の水彩画家であったが、同時に現在の美術出版社の元となった月刊美術雑誌『みづゑ』の創刊者でその発行元「春鳥会」の創立者でもあった。 24歳で父親との死別を境に家業を継ぐのをやめて絵を描くことに専念した。初めは油絵も描いていたが、もともと自然の美しさに心を惹かれていたので次第に水彩 で風景を描くようになった。水彩画家としては日本各地を写生旅行したが、欧米や大洋州へも出かけて積極的に技術を磨いた。 絵を愛する全国の若い人たちに水彩画の描き方を指導したいという思いは、明治34年に水彩 技法書『水彩画の栞』の上梓となったが、特に若い人に向けてより手に入りやすい美術雑誌の発行という事業に発展したのが明治38年創刊の『みづゑ』だった。 わかりやすい記述、複製効果の高い多色印刷を目指して、活版本文は秀英社第一工場(後の大日本印刷)、多色刷りは尚山堂(後に凸 版印刷に合併)の協力を得ての出発だった。こうして、雑誌の編集者として『みづゑ』発行のかたわら、教育者として日本各地で水彩 画普及活動のための実技講習会を開きつつ、画家としても明治40年第一回文展に出品した「穂高山の麓」(東京国立近代美術館蔵)などの秀作を残した。代表作として他に「西山峠」「檜原湖の秋」「猪苗代」などがある。明治44年42歳で藤次郎が没した後、妻春子が『みづゑ』の発行を引き継いだ。 |
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| 美術書専門の出版社として |
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藤次郎の長男、大下正男は大正14年早大建築科を卒業すると、建築事務所勤務の後、昭和5年頃より母春子から『みづゑ』編集発行を引き継いだ。その後、雑誌『みづゑ』中心の出版活動を美術、建築、写 真、デザインにまで拡張したこと、安井曾太郎、梅原龍三郎をはじめ幅広く美術界の指導者たちとの交流を持ち、美術界の現場を軸として出版企画を推進するなど、美術書専門の出版社としての現在の美術出版社の基礎を築いた人だった。昭和18年日本美術出版株式会社を設立して社長に就任、戦後23年社名を株式会社美術出版社と改め、作家の育成と美術鑑賞者の育成という理想のもとに『美術手帖』『国際建築』『リビングデザイン』『美術批評』などの定期刊行物を次々と創刊した。『日本現代画家選』21巻、『年鑑広告美術』(現在の『ADC年鑑』)、『建築年鑑』、昭和40年の創業60周年記念出版『障壁画全集』全10巻などに目指した出版の傾向が伺われる。 また、戦後の美術出版社の仕事は出版事業のほかに、さまざまに繰り広げられるようになった各種展覧会の図録制作の仕事や自費出版による画集制作の注文等が加わることになり、そうした仕事のために、昭和36年株式会社美術出版デザインセンターを作った。昭和41年2月北海道より帰着の全日空飛行機事故にて65歳で没。 |
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| 国際的な事業展開へ |
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現・美術出版社会長大下敦は昭和30年慶応大学経済学部を卒業し凸 版印刷株式会社へ入社したが、三年後渡米、ニューヨーク大学で出版学を修めた。アメリカの美術書出版社エイブラムス社のノウハウを生かして父正男の目指した国際的な出版活動を次々と具体化した。世界の美術書出版社が提携した『世界の巨匠シリーズ』全60巻は、60年代から現在までを通 じて美術出版社の中枢をかたちづくる事業となった。 昭和31年日本のどの出版社にも先駆けてフランクフルト・ブックフェアに参加したことを機に『いけばな』『日本の寺』『現代建築家シリーズ』『古寺巡礼』(国際版)など積極的に海外版を手がけた。翻訳出版では『モダン・マスターズ・シリーズ』全10巻、『現代美術の巨匠』シリーズ全20巻などがある。 一方、今日まで総タイトル166を数える『新技法シリーズ』を始め、『アートスクール』『初級技法講座』『母と子のシリーズ』『ホビーデイズ』などにみられるヴィジュアルで分かりやすい技法書の開発にも力を入れた。 現在、画集、技法書、美術・工芸に関する実用書など年平均40冊を刊行している。雑誌は美術総合雑誌の月刊『BT/美術手帖』、デザイン情報誌の隔月刊『デザインの現場』(昭和59年創刊)、マンガのインタビュー&テクニック誌の隔月刊『コミッカーズ』(平成6年創刊)を刊行している。 さらに近年では『カラー版西洋美術史』に代表されるロングセラーの企画開発、コミック関係では『マンガ技法講座』『まんが西洋美術史』『まんが日本美術史』などにも力を注いでいる。 平成7年美術出版社は創立90周年を迎えた。 |
| デザインセンター・サ−ビスセンターの事業 |
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